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老照片的日本记忆:1890年的鲜鱼店

发布于 2014-08-21 15:44
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 鮮魚店の店頭で休憩している2人の若い店員。魚は日本人にとって大切な食品で、店頭だけでなく「振り売り」と呼ばれる行商人があり、天秤棒にぶら下げた桶に魚を入れて担ぎ、売り歩いた。
照片是在鲜鱼店门口休息的两个年轻店员。对日本人来说,鱼是一种十分重要的食品,不仅是铺面,还有被称为“货郎”的小贩,他们在桶里装着鱼,挑在扁担上走街串巷叫卖。


冷蔵庫が普及する前は、魚の鮮度を保つために水を充たした桶や容器で生かしておくことが多かった。写真の右側に桶が実際に写っている。濡れているように見えるが、魚を生かしておくために使っていたのかどうかは確かではない。
在冰箱普及以前,为了保持鱼的新鲜,大多数时候都会利用盛满水的木桶或其它容器。实际上照片右侧就能看到木桶。看上去浸湿了水,而是不是为了给鱼保鲜就不得而知了。
明治時代以降、日本の近代化が始まると漁業もそれに倣い、日本経済や食糧供給の分野で果たす役割が益々大きくなった。日露戦争後のポーツマス講和条約で、日本はシベリア沿岸の海域で大きな漁業権を得たが、これはその後更に拡大した。
明治时代以后,日本奔向近代化进程,渔业也跟随了这个潮流,在日本经济和食粮供给方面发挥着越来越大的作用。根据日俄战争后的普利茅斯条约,日本在西伯利亚沿岸海域获得了广大的渔业权,此后又进一步得到了扩大。
1930年代の後半になると、この海域での漁獲量は日本の漁獲量全体の4分の1を占めるまでになった。その頃には、1920年代に始まった遠洋漁業の役割も大きくなっていた。当時漁業に従事しているのは150万人、年間漁獲量は4億円に達した。
进入1930年后期,在该海域的渔获量甚至占到了日本全部渔获量的4分之1。在这个时候,始于1920年的远洋渔业也发挥了巨大作用。当时从事渔业的人有150万人,每年渔获量达到4亿日元。
これは食料の多くを輸入に頼っている現在では、想像できないかも知れないが、当時日本は水産物の生産では世界をリードしていた。3漁業の重要性が増すにつれて、魚の鮮度を保つ方法も進んだ。1930年代、日本国有鉄道(国鉄)は生きた魚を輸送する専用の貨車まで持っていた。
当时日本的水产物生产位列世界前茅,这在大多数食料靠进口的今天是难以想象的事。随着渔业重要性的日益增加,鱼类保鲜的方法也得到了改善。1930年代,日本国有铁道(国铁)还开通有专门输送鲜活鱼的货车。

1930年代的国铁活鱼专用火车


魚を生きたままで届ける習慣は、今も続いている。水槽を持っている料理屋は多いし、水を一杯にした水槽を備えた特殊な配送トラックがあって全国に魚を届けている。このように複雑な物流システムが日本で発達したのは、驚くべきことではない。アイスランドと並んで、日本は世界最大の魚消費国で、現在日本人は年間平均一人当たり70キロの魚を食べている。
输送活鱼的习惯一直持续到今天。拥有水槽的料理屋为数众多,另外还有备有注满水的水槽的特殊运输卡车,活鱼能够送达全国各地。这种复杂的物流系统在日本的发达已不是值得惊奇的事。日本与冰岛并列为世界最大的鱼消费国,现在的日本人每年人均食用70千克的鱼。


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奈奈
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